けんちゃんと一緒

平井堅さんや日常の色々なこと

平井堅さんや日常の色々なことを書いていきます。
ikuchan
2007.5.28開設

堅ちゃん、お誕生日おめでとう🎉🎂

この1年間、一度もお顔も見ることもできず、ライブもなくて寂しかったです。
ラジオでは少し声が聞けて元気なのが分かって嬉しかったです。
今の世の中、SNSで発信してくれるのが当たり前の世の中になってきて、堅ちゃんみたいにガラケーで自分から発信すらできない人も、貴重な存在になってきましたね。
ガラパゴス堅ちゃん、ガラ堅ですよ。
でもね、私は、そんな堅ちゃんが好きなんですよ。
自分のカラーを決して崩さない、余計な声も入れない、繊細過ぎるからこそ、他人軸になりがちなSNSから離れている堅ちゃんは、賢明だと思いました。
一番自分軸になれるから。
一年、休んで自分と向き合って、自分らしい音楽を追求して、本当の自分を探しているんだろうなと思います。

去年の配信LIVEのために、ずっと歌ってないから、過去一番毎日毎日カラオケに通って自分の歌を練習しまくったと言ってましたが、配信でもそこまで追求する人。

今まで、どれだけ自分を追い込んできたか。
疲れ果てては、新しい曲どころか歌も歌えなくなってしまう。

堅ちゃんみたいな根っからの歌バカさんには、とにかく心から楽しんで歌を歌ってほしい。

誰かのためにではなく、自分が好きな歌を楽しむために。

50を超えたら、もう、手放すものも少ない。
私も、突然全てを解放して手放そうと思ったのが、50過ぎ。

全てを持って死ねないしね。
今大切な必要なものだけを持って、今あるものに感謝して、とにかく自分に正直に素直に心のままに生きる。

周りがどう思うかとか、こうするべきとか関係ない。

自分が信じることを、まっすぐにやるだけ。

堅ちゃんには、歌が重荷ではなく、心から楽しんで歌ってほしい。
それが、聴く者にも伝わる。

堅ちゃんのそんな思いで歌ってきた歌の数々に、今までも今もこれからも、癒されて救われて元気をもらっている。

堅ちゃんは、堅ちゃんの作った歌は宝物だから、いなくなっても聴き続けてもらえると言った。
でも、その歌を生で聴ける幸せは、ほんの僅かの限られた時間しかない。

どうか、そんな僅かな時間を、惜しみなくし与えてほしいです。
同じ時代に生まれて、同じ時代に生きている唯一の楽しみと特権と、幸せを、残り少なくなってきた人生に、分けてもらいたいです。

お互いに元気でいないと叶わない。

この今の時間を共に共感できたら、他に何もいらない。
持って行くものなど何もないから。

終活みたいな話になりましたが、私の一番の希望は、堅ちゃんの歌と共に穏やかに幸せに生きること。

堅ちゃんには、好きな歌を自由に歌っていてほしい。
歌うことだけは諦めないでほしいです。

これからが第2のスタート。
まだまだ楽しみがいっぱい!

まだまだチャレンジしても大丈夫🙆‍♂️
全てを受け入れますよ👌

皆さん、もし良かったら、堅ちゃんへのお祝いメッセージをコメント欄に書いて下さいね。

🔹たくさんのメッセージありがとうございます😊
記事に転記してまとめさせて頂きますね。

1. 堅が恋しい

堅の顔が見たい
堅の声が聴きたい
堅の歌が聴きたい


2. シャウラ

堅ちゃん誕生日おめでとうございます。

堅ちゃんのお顔が見たいな、お声が聴きたいな、と思った一年でした。
でもきっと元気に頑張ってるんだろうなと思って、今年こそ何かあると良いなと強く願います🌟

ガラ堅、すごくよくわかります(*´艸`*)
配信などもやらないから、配信にもこだわりがあるんだろうな、と思って見たいなぁ、聴きたいなぁ…… と思いながらも堅ちゃんが納得できる形でファンの前に出て来てくれるのを待ってます💕

ikuchanさんも無理せず体大事にどうかブログを続けていってください。

3. 快香

堅さん
お誕生日おめでとうございます👏
本当に本当に元気に過ごしていてほしい

いつもikuchanさんのメッセージに ほっこりさせてもらったり うるうる(:_;)させてもらってます😊
ガラ堅は いつまでも格別な存在です😊
ikuchanさんも 身体に気をつけてくださいね😊

4. IMAKO

堅ちゃん、お誕生日おめでとうございます。
この日の堅ちゃん愛があふれているSNSが大好きです。

これからも堅ちゃん愛を発信続けて下さ〜い😆


5. あき

堅ちゃんお誕生日おめでとうございます!

そろそろ堅ちゃんの姿をみたいなぁ…と思う毎日です。。
また素敵な歌声聞かせてください!待ってます♪


7. yukachan

堅ちゃん、お誕生日おめでとうございます♪
お元気でしょうか?
くれぐれも健康に気を付けてお過ごしくださいませ!
堅ちゃんの無理のないペースでまた歌ってくれる日を
のんび~り待ってます☆

ikuchanさん、いつもありがとうございます!
私も、ガラ堅大好きです♥️
ikuchanさんもお体には気を付けてお過ごしくださいね!


8. ココ

大好きなけんちゃん
お誕生日おめでとうございます。
お元気ですか?
お散歩されてますか?
お身体を大切にしてくださいね。


9. さと

堅ちゃん、お誕生日おめでとう✨🥂💐
本当にikuchanさんの言う通り
堅ちゃんが又、自分から皆の前で歌いたいと思える日まで待ちたいと思います。
前に歌う事にライブをすることはとても怖いって言ってましたね。
そうじゃなくて最初の頃のように皆の前で歌いたい、聴いてもらいたいと思うまで信じて待ちたいと思います。
堅ちゃんの歌声は永遠
私の中で無くなることはありません。
まずは今は堅ちゃんが日々、元気で健康で落ち着いた生活を送る事が第一だと思います。
本当に50歳を過ぎると色々な問題が起きます。きっと堅ちゃんもそうなのかな
私も今、とても大変です。
自問自答、これでいいのか
又、家族のこともそう
堅ちゃんもそうなのかな、なんて
きっと会えると信じて何年でも待っちゃうよー
その時は又、皆で盛大に出迎えましょうね
又、ikuchanさんともお会いできる日を楽しみにしてます。
いつも素敵なお知らせありがとうございます。
これからもよろしくお願いします😊


10. みつばち

今朝、日めくりをめくって、「堅さんの誕生日だ」と気づいて…
堅さんお誕生日おめでとうございます。
堅さんお元気ですか?
カラオケで歌ってますか?
思うことは、
Ikuchanさんはじめ他の方と同じこと
堅さんのライヴ…待ってます


11. MEG

平井堅さま
51歳のお誕生日 おめでとうございます!
50代に突入した堅ちゃんを見れないまま早一年
お元気ですか?
心も体も揺らぎがちなお年頃ですが
どうぞ健やかに穏やかに充実した日々でありますように 祈ってます。
充電期間後の堅ちゃんがどんな姿でどんな歌を聞かせてくれるのか本当に楽しみです。
待ってますね!大好き!堅ちゃん(o^^o)


12. ゆうこ

堅さまお誕生日おめでとうございます。
ラビットで日本を代表するシンガーソングライターとしてご紹介されてました。
ただの一ファンですけれど、なんだか誇らしかったです✨
お誕生日にちなんで瞳を閉じて楽しみたいことをゲストに聞いていました。堅さまは何かな〜

ラジオでお声は聞けましたけど、今年は直接お目にかかれる機会がありますように!
今年も歌バカな堅さまでいてくださいね!

ikuchanさま
ガラ堅!ナイス表現!ピッタリです!
そんなブレないガラ堅さまが大好きです♪


13. 名前:みかん

堅ちゃん、お誕生日おめでとう🎉🎂久しく堅ちゃんの歌声&お姿が見れてないけど、元気にしてるのかなぁ?時折、歌番組で以前の堅ちゃんが映ったりすると、かぶりついてみてますよ~やはり堅ちゃんの楽曲達はどれも歌詞が深くて素晴らしいなぁと、胸に刺さります✨そんな素晴らしい曲達に堅ちゃんの歌声が重なるのだから、感動せずにはいられません😆今年こそ皆で、堅ちゃんのアニバーサリーをお祝いしたいなぁ→その時はファンの皆で、大爆発すると思うので、堅ちゃん受けとめてね~❤😁


14. ぴこりん

堅ちゃん 誕生日おめでとうございます🎂

この1年どのように過ごしていたのでしょう?
穏やかに気持ちよく過ごせていると嬉しく思います。
堅ちゃんのLIVEや生歌が無い生活は、もちろん寂しかったですが、次に会える日を想像するとどんなにきゅんと胸が締め付けられるだろうと、その時を楽しみに待っています♪


15. ともぺん

堅ちゃんお誕生日おめでとうございます🎉
ゆっくり休んでパワーアップした堅ちゃんに会える事を願っています☺️


16. REI

堅ちゃん❤️
51歳のお誕生日おめでとうございます!

堅ちゃんお元気ですか?
お散歩やお風呂で
歌ってますか?

堅ちゃんのLIVEへ行って
感動して、盛り上がっていた日々
今は、とても大切な宝物のような時間だったんだなと思っています

堅ちゃんが
元気で
歌うことを楽しんで
毎日を生きていてくれるなら

堅ちゃんに会えない今は、とても寂しいけれど

また、いつか
LIVEで
元気な堅ちゃんの
歌声を聴ける日を楽しみに待ってます

堅ちゃんを待ってるファンが沢山いるよ

いくちゃん☆
いくちゃんのメッセージとても感動しました
今年も想いを伝える場所を作ってくれてありがとう


17. kaza

堅さん誕生日おめでとうございます。沢山の奇跡を感じられる歳である様🙏

今年こそメディアにもでて頂き活動を再開して欲しいと切にねがいます。時間は有限です。ファンも沢山の人が待ってます。嬉しい発表があります様。おめでとう🎉


18. えこけん

今朝のラヴィットで堅様の歌声で夫が飛び起きました!!!
毎日欠かさず堅様の歌を聴いています。
会えなくても歌声と、存在していてくれるだけで心が穏やかになります。
自分ファーストで無理せずにお体大切にしてくださいね。

ikuchanさん、いつもありがとうございます。


19. 名前:あや

堅ちゃんお誕生日おめでとうございます🎉
いくちゃんさんのお手紙のようなお祝いメッセージに何度も頷いていました。

気力が戻ったなら今年にでも再開してほしいですね


20. Katy

堅ちゃん お誕生日おめでとうございます💐

この1年堅ちゃんのハンサムなお顔を拝見出来ずに過ぎてしまいました。
まだシンガー平井堅の歌う歌を模索中かな?
早くシンガー平井堅の歌に出会えると良いなと思う日々です。

堅ちゃんがライブを開催してくれるなら、必ず参戦します!
その日が来るまで首を長~くして待ってます。
堅ちゃんくれぐれも心と体そして喉の健康には気を付けてくださいね。
会える日を楽しみに待ってます💛


21. march

🎂堅chan、
51歳のお誕生日おめでとうございます🎵

いかがお過ごしでしょうか❓️
元気かなぁ…と思うたび、
ゆっくり、自分の思う通りに過ごせてたらと
思っていました。

今まで多忙な日々の中で、いろんな無理を
してたのかも…しんどい思いしてたかもって。
堅chanの歌う姿勢はいつもまっすぐで
ストイックだから。

歌うことを好きな堅chanで
居続けてくれますように🙏

やりたい事をやりたい様に。
歌って、表現してくれたら🥰
どうぞ、堅chanの思いを何より大切に🍀


22. どら

堅ちゃん お誕生日おめでとうございます🎉
そして いくちゃん いつもありがとう!

何も周りに合わせる必要はないんだよね。自分がいいならそれでいい。ガラケーの堅ちゃん 何だかかっこいい!周りに惑わされず 生きている感じがします。自分が納得するまで充電していていい…。私達はずっと見守り、ずっと待っています。


23. まろん

堅ちゃん、お誕生日おめでとうございます。

どのようなお誕生日を過ごされてますか?

ライブで直接会えない時間が長くて、寂しいです。

今年こそ、一回でもお会いできる機会があれば嬉しいな〜と思ってます。

そろそろ、心の栄養が枯渇してきています!

また、堅ちゃんの歌声を聞ける日を心待ちにしています!


24. ぽ-と

堅ちゃんお誕生日おめでとうございます!
もう本当に・・・書くことがわからなくて(´;ω;`)
もうそろそろ会いたいな😢

25. mimi

堅ちゃん お誕生日おめでとう🎂
しばらくお会いできなくて寂しいけど・・・
充電後のパワーアップした堅ちゃんに会えるのを楽しみに待ってます✨

ikuchanさん いつもありがとうございます。
私も、堅ちゃんの歌と共に穏やかに幸せに生きることが一番の希望です。ガラ堅さまをのんびり待ちましょうね😊

26. H.

お誕生日おめでとうございます。

昨年のライブでゆっくりペースでと 
話されましたね。
ライブは 大きなパワーがいるのでしょう。

もう、年越しですね。
今年は、堅ちゃんがお休みの一年で寂しい年でしたが、堅ちゃんか健康でいてくれたらそれで良かったと思います。
ブログもご無沙汰してしまってごめんね🙏
 休むことや自由にのんびりすることは、とても必要で大切なことだと思います。
アップデートしたり更に飛躍する源にもなります。
必ず、来年は活躍して、LIVEもしてくれると信じています。
これだけ待ってるんですから、堅ちゃんも期待に応えてくれますよね。
新曲も楽しみにしたいですね。

とにかく、元気な顔が見たいね!
来年も、ブログ共々よろしくお願いします😊 

遅くなりましたが、皆さん楽しいクリスマスイブを過ごされましたか?

本当なら、堅ちゃんのKen's  Barに浸っているクリスマスイブ

行けなくても、配信などで楽しめてたし、クリスマスは堅ちゃんがいて当たり前だったのが、今年は、会えなくて、その当たり前が当たり前ではなくて、とても有難いことだったなぁと、今日、クリスマスの夜に一人で夜空を眺めながら思っていました。

その後、ケーキを食べながら、ふとスマホでYouTubeを見ると、おすすめ鈴木大さんのピアノの動画が!
早速久しぶりに覗きに行くと、素敵なクリスマスソングが!
楽しそうな曲にウキウキしながら、イブに毎年ステージで見てる大さん、そこには堅ちゃんがいつも一緒にいたなあ。と思って心の中には、あの「even if」のインストが流れていました。
そしたら、いつものオープニングそのままのピアノの音色が。
もう、泣けてきて、号泣でした。
堅ちゃんが出てきそうなステージを思い浮かべて、いないけど、きっといつかはまた会えると信じて、寂しかったクリスマスイブが少し温かい気持ちになれました。
鈴木さん、ありがとうございます😭

堅ちゃん元気かな?

https://youtu.be/xk_Z0P1bo9k

去年の、クリスマスのKen's  Bar オンラインの配信チケットの販売は、11/26からでしたね。

今年はもうその日も過ぎて、オフィシャルから何のお知らせもないので、今年はクリスマスBarはないみたいですね。

期待してたので残念です。

Ken's  Barが始まってから、オンラインも含め年末Barが開催されなかったのは、2012年のみ。
コロナ禍になったので仕方がないですね。
オンラインも空っぽのテーブルに堅ちゃん1人も確かに寂しいものです。

やるなら、やっぱりお客さんの前でしたいですよね。

ドリンクやおつまみ付きのBarスタイルにこだわるなら、まだ開催は無理なのかな。

これから、また、Barスタイルにこだわらずに、お客さんを入れてのLIVEを期待したいですね。

今年は、去年の配信LIVEで、お休みを匂わせていたので、ファンの心の中では、何となく理解もし、求めることなく、穏やかに見守っていたように思いますよね。

来年こそは活動してくれると信じて、待ちましょうね。

長い人生、休む時間も必要で、その時間が、後々になって、貴重だったと思える日が来るんでしょうね。

リラックスと安心が一番人間に必要なんだと知りました。

堅ちゃんもその間にたくさんのものを吸収してることでしょうね。

健康が一番。
穏やかにのんびり過ごしていてくれたら幸いです。



関ジャムのTwitterより

このあとの #関ジャム は
じっくり聴きたい..."お酒の名曲"13選🥃✨

#大橋卓弥
#zopp
#KOHD

#あいみょん
#安全地帯
#岡村靖幸
#Official髭男dism
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#山崎弘也
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#古田新太
#関ジャニ∞

関ジャムHP

すっかりご無沙汰しています。
お元気ですか?
今日は堅ちゃんファンサイト「きゅーぴーはーと」の18周年です。
このところは堅ちゃんの活動がなくて、ほとんど更新していませんが、辞めた訳ではなく、気持ちは18周年フル活動してるつもりです。
ブログもご無沙汰してごめんなさい🙏
ちょっと奇跡的な話をします。
10/5が毎年の「きゅーぴーはーと」のサーバーの年契約更新日で、ドメインの更新も同じ日です。
レンタルサーバーなので、クレジット払いを忘れてはいけないと、毎年自動更新にしてあって、忘れても大丈夫と思ってました。
それが、何度かロリポップから契約更新のメールが来てたのに、自動更新のはずと、放置してありました。
それが、前日に、またメールで、締切日は明日まで。振り込みがないと自動解約されますと!

え??と、焦って更新状況を調べたら、自動更新されてなくて、明日までの期限に。
とりあえず手動でスマホから更新してクレジット決済も終わり、ギリギリセーフ!
あれ?ドメインは?とそちらも確認したら、明日までの期限に。
慌ててこちらも更新。
なぜ自動更新されなかったのか?と思ったら、カードの有効期限が切れてました。
危なかった‼️
先日たまたま、パソコンのメールにしてたのをスマホのメールアドレスに変更したので、このお知らせのメールに気づいて、もし、パソコンメールのままだと、完全に見てなくて、自動解約になってた!
18年の努力と思い出の堅ちゃん記録が一瞬で破棄されるところでした。
再起はできないらしい。
ドメインは、qchan.infoっていうアドレス。
これがないと、サイトはなくなります。
掲示板はいくらでも作り直せるけど、サイトは、戻らない。
あー!助かった!
神様気づかせてくれてありがとうございます🙏
と感謝しました。
心臓が今でもドキドキしてます。
堅ちゃんが活動するしないに関わらず、私の人生の半分くらいをこのきゅーぴーにかけてきたので、なくなるのは人生を失うのと等しい。
堅ちゃんへの思いも詰まってるし。
誰に何と言われようと、私は私の全てをかけて応援してきた足あと。
堅ちゃんがこれから、また再起動してくれる予感がしました。
まだまだ活躍するから、辞めんといてな〜!
と言われてるみたいでした。

もちろん、いつまでも応援しますわよ!

ただ待つだけの日々も、それはそれで、昔の映像見たり、毎日シャッフルして、たまに普段は聴かない、Ken's  Barの1枚目のアルバムのインストが流れて、これは「hall of me」の元の音源だなあ。と懐かしく思って。
やたら「YOMING」が流れて、私の青春を思い出したり、雨の日に「ドシャブリ」が流れたり、その時その時に堅ちゃんの歌が流れては、私の22年間の堅ちゃん生活が蘇って懐かしく思って。
楽しく幸せなライブを思い出しては幸せな気持ちになったり。
名曲を聴いてはやっぱり堅ちゃんの歌は唯一無二で他の人にはマネできないよなと思ってみたり。

これからも、まだまだたくさん思い出を作ってくれると期待しています。

これからも、よろしくお願いします🙏

人生の中で、何度も、それまでは全く気づかなかったことにふと気づくことがあります。
感謝の気持ちが心の底から溢れてきて、自然と感謝する気持ちで涙が出ることがあります。
孫っちが1歳になって、娘も仕事に復帰しました。
それと同時に保育園に行くことになりました。
今までお母さんとべったりで家に来ても人見知りでお母さんが立っただけで大泣きしてた子が、1日中知らない環境の中で生活する
お母さんと離れることもなかったので、それはそれは悲しくて不安でいっぱいだろう。
1日目はずっと大泣きして汗だくになってたようで。
2日目には少し遊んでもらって笑顔も見れたと。
3日目には、お友達に笑顔で遊びに行って、仲良く遊んでいると
写真を見せてもらってニコニコして遊んでる姿を見て涙が出てきました。
何かあった時にはいつでも迎えに行くのは私の役目になっていて、毎日ドキドキして待っていたのでした。
5日経っても電話が鳴ることはなくて、慣れてくれてよかったと安心しました。
今はお母さんも働かないと生活できなかったり、仕事の両立を選ぶ人も多い。
待機児童で働きたくても働けない人もいる。
母親から離れて預けるのがどうかと意見はあるだろうけど、私は4人とも一人で子育てして2年保育にしたので、末っ子はほぼ一人っ子で、友達がいなかったのがいけなかったのか、未だにコミュニティ障害で困っています。
何が正解かはわからないけど、あんなに小さくても我慢して一人で頑張ってお友達や保育士さんと仲良くしようとしている。
私の小さい頃は、母が兼業農家で朝から夜遅くまで、仕事と農業の掛け持ちで家にいることがほとんどなくて、おばあちゃんに育てられた。
母親が遅くから生んだ子だったので、おばあちゃんは既に腰が曲がって車はないし、乳母車やバスででかけたり、保育園も1年しか行ってなかったので子育て大変だっただろうなと。
今になって、同じおばあちゃんの立場になって、その大変さと有難みを知り、涙が出てきた。
小さい頃、母に育てられた記憶がないけど、私はそれが当たり前で、祖母が母代わりでおばあちゃん子で、今になって、私はおばあちゃんに育てられて今があるんだと。
母の苦労も知ってるし、母にも感謝してる。
自分が母親になった時には、母の苦労に気づき感謝し、孫の守りをしてくれてとても助かったので、自分も娘の役に立ちたいと思う。
そして、おばあちゃんには大切に育ててもらったので、同じように孫を大切にしようと思う。
無償の愛情をたっぷりと感じて育ってきた私は幸せ者だなあと思う。
娘にも、孫にも、自分がしてもらったことを母や祖母に返せないけど、子供や孫に返していこうと思う。
人生、無駄に生きることは全くない。人生死ぬまで経験と気づきと感謝です。
死ぬまで勉強で、この歳になって初めて感謝することもある。
生きていたら、辛いことも嬉しいことも全てが意味のあることで、感謝することばかり。
孫が保育園で頑張ってる分、預かった時には精一杯の愛情を注ごう!と思ったのでした。

昨日は、孫っちの1歳のお誕生日で、家族全員揃って皆んなでお祝いパーティー🎉をしました。
もう片言を喋ったり、伝い歩きしたり、音楽で踊ったり、ますます可愛くなりました。
病気もしないで元気に育ってくれて嬉しいです😆
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2週連続のAIR-G'のラジオで、デビュー当時のお話を聞いて、25周年のインタビューに、AIR-G'のディレクターの野口さんも話をしてくれていて、千葉ひろみさんの話しと同じ内容のことが書かれていて、微笑ましく読んでいて、その次に、マネージャーのボッコ大滝さんのインタビューを読んでみました。
何度も読んでるけど、当時はまだコロナも走りで、堅ちゃんがここまで出てこないとは思ってもいず、少しの我慢で、またLIVEやテレビにも出てくれるだろうと思ってました。
もう、2年半、堅ちゃんの活動がほぼなくなって、このインタビューを読むと、胸が痛い。

デビュー前から変わらずマネージャーを務めるボッコさん。
楽園が最後のシングルになるかもしれなかったと。
5年間の売れない時代からいきなり2000年にブレイクして、そこからの仕事の入れすぎで、堅ちゃんが疲弊してしまったと

一部引用

「5年苦労していると5年分の恩人がいまして、こちらとしてはお返ししたい素直な気持ちがあるので、そういう人たちからのオファーは全部引き受けて、すると、記憶がなくなるくらい働くことになるわけですよ。だから、僕からしたら、いつ来るんだいつ来るんだと思っていたことではあったんですけど。

―大滝氏の不安は的中してしまった。平井堅も疲労困憊、しかも「もう歌えない」と直訴されてしまった。

「休ませる以外にないなと思いましたね。話を聞くと、ストレスがとにかく大きかったようで」


2003年にニューヨークで休養


堅ちゃんの初めてのミリオンのアルバム「THE CHANGING SAME」もR&Bにこだわってた訳ではなく、以降のアルバムもその時その時に歌いたい歌を歌ってきただけだと。


引用

―「1曲1曲が勝負」の積み重ねとして出来上がるものが平井堅のアルバムであり、「1曲1曲が勝負」の積み重ねが平井堅の25年間であったのかと尋ねると、「そういうことなのかなぁ」とのことだった。

「時代を読むことは大切ですけど、追い続けられるものでもないし、追い続けるのもどうかと思いますし、だからこれからも焦らず、今まで以上にマイペースに活動していってほしいと、マネージャーの立場としてはそう思ってます。平井の場合、良いも悪いも、歌手を職業にしていない感があって、生活のため、お金のためにやってないとこは昔から変わっていなくて、歌うことが好きだから歌いたい……いや、今はつねにベストな状態で歌いたいという気持ちに変わっていると思うんですけど、そこで僕のやることは変わらないです。彼を作り上げることではなく、ベストな状態で歌えるよう支えていくだけですから。」


これを読んで、ストンと腑に落ちた。

堅ちゃんは、ただベストな状態で歌いたいだけなんだと。


ファンとしては、もっとテレビで見たい、LIVEもやってほしいと焦って要求してしまうけど、ボッコのように、ベストな状態で歌える堅ちゃんを、焦らず待つことが大切なのかと気付いた。


堅ちゃんがしんどくて歌手を辞めたいと思ったのは、2003年と2008年の話は堅ちゃんの口からも聞いた。

もしかしたら、コロナ禍、同じ気持ちになっていたかもしれない。


去年のクリスマス配信ライブで話したことは、堅ちゃんの心からの正直な叫びだったのかもしれない。


最善の状態で歌えるようになったら、必ず出て来てくれるに違いない。


ボッコは堅ちゃんがどんな時も、じっと見守って支えてきてくれてたんだと思うと、堅ちゃんがついボッコを冗談で罵るので、ファンも、冷たく思ってしまうけど、一番理解して、一番堅ちゃんのベストな状態を守ってきてくれたんだと、感謝の思いでいっぱいになった。


何だか泣けてきて。


ソロアーティストが何十年もトップで走り続けるのがどれほど難しいことか。

堅ちゃんは利益も何も考えず、ただ歌が好きなだけ。

それを追求して、妥協を許さない。

歌バカそのもの。


そんな堅ちゃんを好きになったんだからファンも待つのは仕方ない。


今まで、ずっと楽しませてくれていたんだし、毎日聴いても飽きないくらい素晴らしい曲を無限に残してくれてるし。


新しい堅ちゃんを想像しながら待つのも楽しみ。


25周年特設サイト

大滝さんのインタビュー

https://www.kh25th.net/interview/detail24/


お母さんのインタビューも泣ける。

7/30(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」ゲスト出演 2週目
平井堅:K  千葉ひろみ:T

T:先週に引き続きまして、今夜もこの方です。平井堅さんで~す!
K:よろしくどうぞお願いします!
T:よろしくお願い致します。先週も色んなお話を伺いましたが、今週はね、まずやはり、私の中ですごくAIR-G'の開局ライブっていうかイベントとして心に残っているのが、開局13周年のイベントに平井堅さんが出てくださいました。
米倉利紀さん、横山輝一さんと一緒にね、平井堅さんも出て下さったんですけど、ねー、覚えてらっしゃいますでしょ?そのことは?
K:もちろん覚えてます。なんかね、ニューヨークの風を感じるアーティストに集まってもらってみたいな、どこがやねん!っていう、ニューヨークね、まその時一回くらい行ったことあったかな?そんな、全然ニューヨークと関係もなかったんですけども、なんかそんな冠があってですね、その時も、僕デビュー間もないですよね。デビューしてまだ半年も経ってない時で、米倉さんとか横山さんとか、先輩の活躍されてる方っていうので、とっても緊張してると同時に、何か印象残さないとっていう、必死な思いとそんな気持ちで望んだのをとっても覚えてますよ。
T:確かね、平井堅さん2番手ぐらいに登場したんじゃないかな?ごめんなさい。間違ってたら。
K:確か。でもそのイベントで、さっきも言ったように、何か自分のオリジナル曲ももちろん歌ったけど、何か当時それ以外でインパクトを残せるものはなかろうか?と自分で考えて、で、その「大きな古時計」をオープニングでアカペラで歌ったのかな?
T:そうです
K:そうそうそう。それはとても覚えてますね。その時の景色や、最初ざわざわしてたのが、段々こう、皆さん聴き入るように聴いて下さってっていうのは、とっても覚えて、かけがえのない印象的な瞬間でした。
T:あの時、私も客席にいたんですけども、もうほんとに鷲掴みにされましたね。心をね。
K:いや~。でも必死でしたね。ほんとに。当時。何とか今の状況をもっとより良いものにしなきゃっていう思いで、その必死さもね
T:だってデビューしてすぐだったからね
K:うん、そうです、そうです。だから懐かしいですね。若かりし自分の23の時のパッションっていうのが。
今ももちろん持たなきゃいけないしあるけど、なんかその無鉄砲な感じっていうのがとっても懐かしいけど。
でもそれのお陰でと言っても過言じゃないくらい、その後、すごくその模様のことを会場に来て下さった、業界の方とかにすごい言われて、応援してもらうきっかけにねなりましたね。
ほんとにそれは大きかったと思います。
T:平井さんにとって、大きな古時計ってどんな曲なんですか?
K:なんかその後ね、それが95年で、それから7年くらい、ちょっと忘れたけど、2001年くらい?にシングルでリリースして、それもたくさんの方に聴いて頂いて、自分のキャリアの中で強い大きなものでしたが、僕にとってはね、その衝撃っていうか、リリースした時もすごい印象もとても強いけど、やっぱりね、一番最初に厚生年金で、95年に北海道で歌ったっていうのが、なんかこう、その印象がすごくず~っとどっか忘れられなくて残ってたんですよね。
それで2000年ぐらいからちょっと忙しくなっていく、R&Bとか歌っていくんですけども、その後もどっか自分のキャリアがスタートした時の大切な瞬間として妙に残っていて、なんかあの感覚が、きっと何かもうちょっとあの曲に対しての強い、自分ができることがあるんじゃないか?っていうのが残ってたんですよね。それでシングルとして後々にリリースするんだけど、だから、曲としても小っちゃいころから好きな曲なんだけど、あの曲の持ってる、僕が歌ったことで聴いてくださる人がたくさんいたのかもしれないけど、あの時に、歌った時にあの楽曲自身の曲のパワーみたいなものもすごく感じたから、そういう意味では、あの95年に歌ったことがとても強かったですね。
T:その後ね、何となくシングル出すまで、封印したっていうか、敢えて出すまで時間を置いたのかな?みたいな感じでちょっと思ってたりしたんですけど。
K:そうですね。なんか、封印、もう歌わないぞっていう感じではなかった決めてたわけではないけど、なんか凄く強い曲なんだなっていうのはその時に感じて、あんまり闇雲にむやみに歌わないようにしてたと思います。
ま今もそれはそうなんですけど。
T:そうなんだ!小さい頃から歌ってた曲なんですよね?聴いてた曲なんですよね?普通に
K:母がですね、よく台所で歌ってたんですね。なので割りと母の声で聴いた印象が強いですね。僕もすごい好きでした。当時。
T:それを13周年の時に持ってきたっていうのは、その辺の体に染み付いた体に染み付いているものが出したいっていう風に思ったんでしょうかね?
K:なんで歌ったのかちょっとあまり思い出せないんだけど、とにかく自分のまあ当時その時出した楽曲もわ~っとそんな全国に広まったっていう感じでもなくて、何かそれ以外でってなった時に、ふっと浮かんだんでしょうね。
それだけ印象が強い曲だったんでしょうね。
T:何となくデビューだし、やっぱり自分の持ち歌から行くっていうのがセオリーなのかな?って勝手に思っちゃうけど、それを敢えてしなかった、それを止めなかったスタッフっていうかマネージャーさんっていうかね。
それもなんか英断だったのかな?って今から思うと。
K:なんか、それを賛同したのか、興味がなかったのかちょっとよくわかんないけど。
T:平井さんはほんとにAIR-G'のイベント、色々と出てくれましたけども、夏にやったパラダイスカフェってありましたでしょ?ジャスマックプラザでやりました。
K:なんか、ジャスマックプラザで、何回かやってます?
T:いや、2回3回?
K:2回3回?でもなんか、すごいやたらめったらやったような記憶があるんだよな~
T:えっと、1階と、それとジャスマックプラザ・ザナドゥって言ってホールがあって、そこでもやってるんですよね。
K:なんか、温泉ありません?
T:あるあるある。
K:あるよね?
T:ある!
K:とにかくそこで歌って温泉入ったっていう記憶が一度じゃなく何度もある気がするんだけど。それは俺の記憶がちょっと
T:大事ですね。いや、何回かやってます
K:やってますよね。とにかくライブをして、ひっろい大浴場があるんですよ。
T:そうなんです。結構ね
K:そこにジャブジャブ入って、サウナもあって、サウナもあったっけな?あったと思うんだよな。なんかそのライブをやったことと同じくらい、大浴場もおんなじくらい印象に残ってますよ
T:あのジャスマックプラザの方が聞いてたら怒るかもしれませんけど、比重おんなじですか?みたいな。
K:なんかね、印象としてはすごくその2つが強く残ってて、でもね、トークしたり、ミニKen's Barっていう形でやらしていただいたり、なんか、五島良子さんと歌わせてもらったこともありましたよ。あったし、あとね、どういうカバーを歌ったかっていうのも覚えてます。
それがいついつのジャスマックなのかはわからないけど、あのね~鈴木さんのピアノ1本でミニKen's Barをやって、キャンディーズのね「春一番」をカバーしたことをね、覚えてます。間違ってたらごめんなさい。
T:ごめんなさい。私は覚えてません。正直に言います。
K:いや、いいんだよ~全然。それでね、あとね、ほんとにどうでもいいことで申し訳ないんですが、あるどこかのジャスマックプラザなのかKen's Barイベントで、わたくしのちょっと不適切かもしれないですが、ちょっと腸が滞りがちな体調のときがありましてね、
T:お腹痛かったときね!
K:お腹が痛いというか、滞ってたときがありまして
T:あ~出なかった方ね
K:ええそうですね。それで、ライブ直前で楽屋で牛乳1杯飲もうって自分で言って、多分その滞ってるから、それで牛乳をたくさんすごい飲んだんですよ。直前に。ジャスマックプラザのライブの直前にね。
T:訂正させていただきます。それは札幌グランドホテルのバージョンでございます。オールドサロン1934かな?
K:よく覚えてますね!ごっちゃになってますね。それで、とにかく牛乳をがぶ飲みしてそれで臨んだんですよ。ライブにね。で、まあその、腸の状態はどうだったか覚えてないんですけど、牛乳ってね喉に膜を張ってあまり良くないんですね。歌に。
らしいんですよ。それでね、何となくねちょっと出が悪かったんですよね
T:声のね!ほんとは出てほしいのは下なんだけどね。
K:そうなんですけども、今となっては時が経ってしゃべってますが。で、反省してどんな状況でも牛乳は飲まないようにしてますね。コンサート前に
T:牛乳に嫌いじゃないけど、ライブ前は飲まないとね!
K:というのをなんか覚えて思い出しましたが、それはジャスマックではなかったんですね
T:そうそうジャスマックではなくてね。色んなとこでやってたの思い出しましたね!今ね。
K:なんかね、いついつの何何っていうのは覚えてないんだけど、ふっとその景色とかこういう会場だったなとか、鈴木君はこういうことを言ったなとか、リハーサルでこれ練習したなとかそういうのはハッと思い出すんですよね
ショットショットで
T:これはもちろん覚えてらっしゃると思うんですけど、「ドキドキしちゃう楽園で踊っていただけますか?」
K:あ~わかった!はい
T:クイズじゃないんだけどね。
K:ミッチーとスガシカオさんと私で、トーク、ライブもしたのかな?
T:そう、Zepp sapporo でトークイベントがあって、年金でライブがあった
K:はいはい。ライブよりもトークの方が覚えてますね
T:へ~!ミッチーなんか色っぽかったよね。あの時ね
K:色っぽかったかどうかは覚えてない。色っぽかったんだ!
T:色っぽかった。やっぱりミッチーって匂いまでもが素敵っていうあるじゃないですか!
K:王子様なね
T:すごい色っぽかった。スガさんは男っぽいし、堅ちゃんもどっちかって言うと男っぽい感じで、爽やか青年っていうか、それで3人それぞれ立ち位置があって、もうドッカンドッカン!でしたね。
K:それはねもう覚えてないんだよな。ドッカンドッカンだったか否かはもう覚えてない。むしろ打ち上げ覚えてますね。
T:その方が覚えてるかもしれないですね。打ち上げで3人でスガさんとかミッチーと話をしたっていう?
K:そうです。もちろんスタッフもいらっしゃったんだけど、3人でBarみたいなところで飲んで話したの覚えてて、で、時効で、ミッチーがその時キャバクラに行かれてて、お仕事が終わって、僕とかスガさんとかは打ち上げに行って、ミッチーはキャバクラに一瞬行って、そこから遅れていらっしゃったんですよ。なんかそれをね思い出しました。
T:で、その開局20周年のスペシャルライブは、年金だったんですけど、どっちかっていうと、トークの方が覚えてて。
K:そうですね。なんかライブはね、かなり霧の向こうっていうかモヤの向こうっていうか
T:3人で同じ曲歌ったりしたっていうのは覚えてません?
K:うっそ!何歌いました?
T:スガシカオさんの曲を
K:シカオさんの曲?へ~覚えてないわ!
T:歌ったんですよ。堅ちゃんとミッチーとシカオちゃんとで
K:それはね、ごめんなさい。曲のタイトルを言われたら思い出すかもしれないけど。もうほとんど50年も生きてると色々遥か彼方なものがありますよね。たくさん
T:そうですね~たくさんのステージ踏んできたからね。そういうことですよね
K:だけど、先程も千葉さんも言ってたけど、三者三様で全然立ち位置が音楽も違うから、打ち上げで、「堅ちゃんいいよね~」とか言われて、「いやいいじゃんスガさんも」「ミッチーもいいじゃん」とか、それぞれ無責任に他人を褒め合うっていうそういう話をしたのを覚えてますね。
T:まあ隣の芝生は青いじゃないけれど、やっぱりそれぞれ輝いていて、いいなって思うっていうのは、それは素直な気持ちだったんじゃないのかなって気がしますけどね
K:そうですね。
T:ほんとに色んなイベントに出ていただきました。
またこの後も思いで話お聞きしたいと思いますのでもう少しお付き合いください。

♪大きな古時計

T:札幌にたくさん通って下さった平井堅さんですけど、札幌でねおむすび食べたっていうのは覚えてると思うんですけど、それ以外でね、美味しい味に出会ったりとか発見とかありました?
K:はい。食べるの大好きなんだけど、ほんと無頓着で、あんま何でもどんなものでも美味しいと思っちゃう方で、そんなにグルメではないんですけど、あのいっつも終わってから皆さんでご飯食べに行ったりよくしていたんですが、札幌っていうとねたくさん美味しいものあるし、海の幸とかラーメンとかねありますが、なんか札幌ならではっていうよりは、なんでかその当時なのか今も好きだけど妙にイタリアンを食べてたなという記憶があって
いきつけのいつも行くお店がありまして、あれかな?そのころニョッキっていう食べ物が出始めたのか、自分が初めて知った頃はその頃で、とにかくニョッキニョッキって言って、ニョッキ食わせろって言ってニョッキ食べてた印象と、
あとなんか、同じくイタリアンでどこにあるお店か何なのかって全然知らないんですけど、連れて行ってもらえるがままに行ってたんですけど、素敵な古民家のお店で、白い大型犬が2匹いて、そこがね、スキー場の入り口だった気がするんですけど、そこにタクシーで移動車でガタゴト獣道っていうか山道
T:あのね、藻岩山ですね。藻岩の方ですね
K:そこかな?そこの素敵なお店の佇まいと食べ物が美味しかったっていう印象がございますね。
あとはやたらと言ってますが、油そば?米風亭合ってる?
T:合ってる合ってる。油そばはすごく有名ですね。ビールが美味しいところ
K:米風亭がいっとき世の中の食べ物の中で一番好きって、濃いね、カロリーの塊のような食べ物なんですけど。あの油そばがとにかく好きで好きでいっとき取り寄せてましたね。
都内の自宅に。取り寄せたり、送っていただいたり。両方麺類っていうかね。北海道っていう感じではないんですけど、その2つですかね。
T:ニョッキと米風亭?
K:ニョッキと米風亭
T:でもね、あながちそれは札幌を代表する味ですよ。札幌イタリアンすごく多い。多いって言われてる。
K:やっぱりそうなんだ。
T:うん、言われてる
K:でもその牛乳が美味しいですもんね。
T:牛乳は北海道どこでも美味しいですけどね。牛乳も美味しい。
K:ね、美味しいもんね。という思い出です。
T:思い出ですか。私はね、平井さんから頂いたキャンドルがあるんですよ。
K:へ?
T:覚えてないでしょ?ハワイ旅行に行ったんですよ。平井さんは。
K:マジで?私あなたにキャンドルあげた?
T:キャンドルもらいました。
K:ほんとに!ほんと酷いね。全然覚えてないですわ
T:いいんです。いいんです。ハワイのお土産ってねキャンドル頂いて、未だに火を灯さず大事にとってあります。
K:マジで?
T:火灯したら溶けちゃうもん
K:そうですね。どんなやつですか?
T:なんかアーティスティックな紫色のね縦型の
K:あそう。てかそんな気の利いたことするんだね。びっくりしました。
T:それね、最初の頃ねハワイ行ったんだって言ってねお土産にもらいました。
K:へ~、じゃ、いつかお葬式で灯そうか。
T:どっちの?
K:どっちかのね。
T:大事にそれはとってあります。
K:じゃあ僕が先に死んだ時に灯してください。
T:じゃあ私が先に死んだ時はどうすんのよ。
K:灯すわ。遺族に言って
T:順番に言うと私の予定になってますからね
K:わかんないけども
T:開局40周年にもなるとこんな話もできるようになるっていうのは
K:ほんとにね、そりゃもうお互い折り返しは過ぎたからね
T:私はまだまだ元気に頑張ってやっていこうと思ってますけど。
K:もちろんもちろんもちろんですよ。
T:まあ、ありがとうございます。AIR-G'は開局40周年を迎えることができて、ほんとにアーティストの方々の力っていうのは絶大で支えていただいて、その中の平井堅さんはほんとに色々と支えて頂いたなって思いがいっぱいあるんですけど、AIR-G'に期待することだったり、AIR-G'40年に思うことだったり何でもいいんですけど、頂いていいですか?
K:40年て、やっぱり僕は人生50年だから人生としては10年先輩ですが、歌手としては27年なので、ずいぶんと先輩だし、続けていくことってとても大変だと思いますので、まずはほんとにおめでとうございます!と、
あと僕自身がAIR-G'に遊びに来たり番組を持たせていただいたりっていう中でのAIR-G'の印象っていうのは、ほんとに人のいい局のカラーとかもあるけど、そこでご一緒して関わったスタッフの方の印象が全てなので、そういう意味では、ほんとに誠実で優しくてあったかいAIR-G'の北海道の皆さんのお顔が浮かぶので、そういう、番組作りもそうだけども、誠実にリスナーの皆さんと向き合うっていう印象があるので、それを50年100年と続けて行ってほしいと思うし、
あと時代と共に僕自身も生きていて音楽人生、聴くツールもどんどん変わっていくし、J-POPもワールドミュージックもそうだけど、ほんとにひとところではいられない、どんどん変わっていく目まぐるしい音楽っていう世界だけど、ラジオ局っていうのはずっと同じことを続けていくことがすごく素敵なことだと思うので、変わらずグッドミュージックを送り続けて頂きたいなと思います。
T:ありがとうございます。その言葉を胸にAIR-G'全員で頑張っていけると思いますのでありがとうございます。温かい言葉をいただきました。
先週、今週とほんとにありがとうございました。
K:ありがとうございました。こちらこそ徒然な適当な話ばかりしてしまいまして。
T:またAIR-G'に是非遊びにお越しいただきたいと思います。
K:是非呼んでください。
T:お待ちしております。平井堅さんでした。ありがとうございました。
平井堅さんありがとうございました。
K:ありがとうございました。

♪POP STAR

T:先週今週と平井堅さんをゲストに迎えてお話させていただきましたけども、変わらない心持ちっていうか、もういちまでも昔のまんまというか、ほんとに話していてあったか~い気持ちにさせてくれます。
それがリスナーの皆さんに伝わっていたんじゃないかな?と思います。

ブログの一番下の方に、私のTwitterのリンクを貼ってあります。
堅ちゃんのアイコンです。
そこからTwitterに飛んで、聴けてない方は、
7/23(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」のradikoを3分毎に頭出ししてリンク貼ってます。
スレッドを開いて、全ての再生マークをタップすると、無料会員でもお試し試聴できます。
Twitterアプリからでないと無理です。
土曜日まで聴けます。

7/23(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」ゲスト出演
平井堅:K  千葉ひろみ:T

T:ここでは、当時番組を担当していたアーティストの方に登場していただいて、どんな内容でどんな番組を担当をしていたのかとか、今だから言えることなどお話を伺っております。
今日はこの方です!平井堅さんで~す!
K:こんばんは!ご無沙汰しております。よろしくお願いします。
T:こんばんは!ほんとにご無沙汰しております。よろしくお願いします。
K:ねえ。ご無沙汰です。よろしくお願いします。
T:平井さんとお話するのって何年ぶりだろう?
K:でもそんな、あれかな?札幌でのライブに来て下さったときかな?
T:かもしれないですね。でも、すみません。勝手になんですけど、あまり距離は置いてる感じはなくて、心の距離は、私の中でいつも堅ちゃんはあったかな?って感じです。
K:ぴったんこですよね。ねえ。ぴったんこですよ。
なんか、こうやってお声でやり取りした気がするんだよな。気のせいかな?
T:そういうこともあったと思う。だいたいね、年月経ちましたんで、お互いね、記憶も。
K:ね、ちょっとかなりおぼろげな記憶を手繰り寄せて今日はお話したいなと思います。
T:まずは、AIR-G’にいらっしゃったのが95年のデビューの時?だったと思うんですけどね。
K:そうです!
T:そうですよね。キャンペーンでいらっしゃって。
K:それで、2時いろネットワークに出さして頂いたのか、とにかく千葉ひろみさんとお話したっていう記憶ですね。
T:ありがとうございます。そうなんです。
2時いろネットワーク担当していたので、当時キャンペーンで入って下さって、なんかすごく素敵なボーカリストが来たな!みたいな感じで、声は素敵だし、顔はちょっと洋風な感じ?
K:洋風な感じ。しつこい感じでね。でも、ほんとは最初っていうのはあんまり記憶がないんですけど、おぼろげなんだけども、とにかくトントントンとAIR-G'のイベントに呼んで頂いて、2時いろネットワークに定期的に月1で出さしてもらえてって、わ~っとデビュー当時にわ~っと色んなオファー頂いて急接近した印象がありますね。1995年
95年96年デビューの頃に。
T:2時いろネットワークにゲストで来て頂いて、その年に開局13周年イベントっていうのがあって、それに出てくれて、その後、2時いろネットワークで月1月2の時もあったんだけど、通ってくれましたね!よくね。北海道に。
K:いや、お邪魔して、千葉ひろみの庭であったね番組にちょっとお邪魔して、そうそう、月1、多い時で月2で楽しかったですね。
なんかもう自分の出身、大阪三重以外のふるさとみたいな、定期的に通う場所っていうのがなかったので、当時東京以外にね。楽しかった。
T:多分北海道の人は平井堅さんって北海道出身って思ってる人いるんじゃない?
K:多いかも?特にAIR-G'リスナーの方。
T:ね!かもしれないですよね。それぐらいだったと思うけど。なんか私、失礼なこととか言いませんでした?出会った時。大丈夫です?
K:全然。なんか相変わらず。ほんとにあれから27年経ちましたが、相変わらずせせらぎのような美しい声でね、千葉ひろみボイス。変わってないなと思ってお話してますが。
T:せせらぎ?川のせせらぎ?
K:全然、せせらぎみたいな印象なんですよね。千葉さんの声って。
T:そうなんだ!
K:うん、綺麗な。で、なんか、失礼なこととかっていうのは全くなくて、でも記憶としてね、妙に印象に残ってるのが、カフを下げて音楽流れてる時とか色んなお話したと思うんですけど、もしくは収録後とかね。ご飯食べたり。
すごく覚えてるのがね、なんかの話で恋愛の話になって、ふるかふられるかどっちが辛いみたいな、多分お便りが来たんですよ。FAX。そういうテーマだったのかお便りが来て、その時に千葉さんがものすごく悲壮感ていうか、ものすごく真剣な面持ちで、ふるよりふられる方がほんっとに辛いよっていう話をされたんですよ。
僕は適当にふるのも辛いけどふられるのも辛いねみたいなことを適当に言ったのかな?その時、いやいやって言って、ほんとに好きで真っ只中の時にふられる辛さってほんっとにしんどいですよっていう話をなさったんですよ。千葉さんが。
T:きっとそういうことがあった時だったんでしょうね。
K:よっぽどのことがあったんだろうなって、若い23・4の私、思いましたよ。記憶にある?ないですか?
T:言ったことは覚えてないけど、けど、ふるよりふられる方が辛いって思う!
K:依然ね。その気持は変わらないんですね。よっぽどこっぴどくふられたんだな。この人って思いましたね。その時
T:人生の中で、多分2時いろネットワークやってた時は結婚してたので、
K:そうそう、なんか幸せな感じだったんですけど
T:それはそれで幸せだったと思うんですけど、かつてのことを考えると、そんなことがあったし、あったんだな。
K:なんか、酷いふられ方したんだろうなって、それが妙に印象に残ってて、よっぽど辛そうな顔してたんでしょうね。思い出しながら。
T:なるほどね~。なんか声が震えて来ちゃった!私。
K:なんかね、それをね思い出しましたよ。
T:そうなんだ~
K:それが千葉ひろみの印象かな?
T:痛い思いをね重ねて来たんですね。私ね。きっと
K:そう、そういう思いをしながらせせらぎのような声でお話されてたんだなって。
T:だけど、自分の声がせせらぎっていう風に思ったことないので、ちょっぴり嬉しいです。ありがとうございます。
K:ほんとに嘘つかないんで、ほんと。
T:そう!平井さん絶対嘘つけないタイプですよね!
K:嘘つけない。どうなんだろうね。あんまりつかないようにしようと日々心がけてはいますね。人生において
T:多分できないタイプだと思います。ラジオをすごく好きじゃないですか。
K:好きですね。聴くのもしゃべるのも。
T:すごくやっぱりラジオ好きな人だなって思ったし、リスナーと向き合うことがすごく好き?だからそういう向き合おうと思ったら嘘つけないんですよ。やっぱり。
K:そうですね。まあつきたくないですよね。あんまり嘘ね
T:だって面倒くさいもんね。後でバレちゃったりとかね。辻褄合わなくなったりとかね
K:あと、意外と嘘がバレるかどうかわからないけど、嘘が伝わる気がして。正直でいる方が相手も心地いいような気がしてね。そういう気がしますけども
T:そうですね~。でもラジオで色んなFAXとかね、当時メールじゃなくてFAXだったじゃないですか。
K:今はもうねFAXって、今もまだFAXってあんのかな?
T:あるけど、メールとかTwitterとかが中心かな?
K:そうだよね。たくさんFAXが来た時に、スタッフの方がすごい嬉しそうに「こんなに来ました!」って紙を手の上に持って厚みを見せてきたりするじゃないですか。
T:プリントアウトしてね持ってきてくれるのね。
K:あれがねとっても嬉しかったですね。なんかこんなに来たんだ!っていうのと、スタッフの嬉しそうな顔っていうのが。逆に来ないと切なくもなるんですけども
T:だめか今日はみたいなね
K:そうそう。FAXの絵書いてくれてたりね。色んなお便りが嬉しかったですね。
T:そうですよね。私はね、ケンとひろみの2時いろネットワークっていう番組をさせてもらって、あの時間帯って、女性が一人でしゃべっていたんですよね。ずっと開局以来。
K:2時ー5時だっけ?
T:2時-4時だったりしたんですけど、3時間の時代もあったりしたんですけど、あの時間帯に男性の声が入るっていうのがめちゃめちゃ今までにないことだったんですよね。
当時ね。
K:へ~そうかそうか
T:女性だけじゃなくって男性の新鮮な意見だったりとか、平井さんの声が入ることによって番組も大きくなったし、私自身の人生の中でもすごく大きな出来事だったなって未だに思い返しますね。
K:嬉しい。ほんとにAIR-G'2時いろネットワークとか厚生年金の最初のコンサートで「大きな古時計」歌ったんですけど、あの時の喝采というか皆さんのご意見とか、糧になることが多かったですね。
当時95年90年代特にその前半5年くらいっていうのは、なかなか自分のキャリアとしても上手くいかない時期だったんですけど、その中でも、唯一って言ったら大袈裟ですけど、なんか心の砦っていうか、なんかここに行くとちゃんと聴いてくださる方がいるというか、こうなんていうか救いのような存在でしたよ。ほんとに。
T:なんかすごく重みのある言葉を、AIR-G'もらっちゃいましたね。
K:いやいやほんとにね、当時北海道で1/3売れるみたいなこと言われてましたけども、とっても音楽的ふるさとっていうかね、聴いてくださって有り難かったなっていう思いがありますね。
T:ありがとうございます。引き続きこの後もお話伺っていきます。

♪Precious Junk

T:ま、2時いろネットワークという番組、月に1回だったり、月に2回だったりしましたけども、ま色んなことをやりました。
2時からの番組だったんで、お昼がね、ランランランチタイム?楽しい時間じゃないですか。
その時に大通り公園に行って、おにぎりとか食べたんですよ。
K:僕、あのおにぎりをとにかくひたすら食べてた記憶がありましてね
T:むすび亭ってお店があったの
K:あのちょっと大きめのおむすびが好きでね、たらこバターおにぎりを買って、AIR-G'の控室で食べたり、外で食べたりしてました。
T:それで当時平井さんは札幌に通ってきてくれて、どんどん札幌、北海道のことを好きになってくれたと思うんだけど、当時ディレクターがやっぱり平井さんにもっと札幌の風を感じてもらいたいっていう私は意図があったと思うんだけど、大通り公園で食べたりしたわけですよ。
K:はいはいはい。
T:覚えてます?そこから何となく、じゃあちょっとそこから中継やってオープニングやっちゃいましょうか?みたいな感じで、色んなことやったりしたりして。
K:結構無茶なことさせられた
T:無茶と思ってたんだ!
K:無茶っていうか、結構ノリノリで楽しくやってたんですけど、色んなことした、外で急にぽんってマイク置かれてしゃべったりとか
色んなイベントとか、ラジオのコーナーとかでもね、色んなところでしゃべった気がします。
T:ありましたね。でもどこ行ってもやっぱり平井堅さんのことを温かくリスナーの方々は迎えてくれたし
K:そうですね。でもやっぱりなんか不安でしたよ。お便りが来るかとか。イベントとかも応募が、応募数がすごい少ないかな?とか。そんなことばっかりすごい気にしてた記憶がありますね。
なんか自分も心配だし、あんまり来なかったらスタッフの方もね寂しい気持ちになるかな?とか、そういうのは非常に気にしてましたね
T:なんかそんなことまで気にして下さっていたのですね。
K:自分もそうだからね。一応人気商売だから気にはなるんですよ。気にしてたな~
T:それやっぱバロメーターだったりしますからね。
K:そうね。それでなんかね応募とかがあまりなかったら落ち込むから、それをマネージャーさんに慰められてたりとかっていうことはとても覚えてますね
T:優しいマネージャーさんですね。
K:優しいっていうか、あんまりくよくよなさらないっていうか、僕とは気性が違う方なんで、マネージャーさんがくよくよしてたらちょっとしんどいですけど
T:でもどこ行っても大人気で、応募は多数で
K:でもなんかね少ない時とかあったんですよ。
2時いろネットワークは生でぱ~っと比較的楽しかったんだけど、その後自分の番組をやらしていただいたんですよ。
2時いろナイトワークとか。
T:あと歌バカとかもやってましたね。
K:歌バカだとか。それでね、リスナーの方とデートするっていうコーナーがあったんですよ。そのデートの模様を録音して番組で流すとか。
その応募がね少なかったときがあって、すっごいね、あれ?2通?みたいなときがあったんですよね。
T:いや、そういう時代も大事ですよ。
K:そうそう、だからその時にね、来るかな?とかヒヤヒヤしたの覚えています。
T:その収録とかの様子とかも覚えてたりします?
K:覚えてる覚えてる!なんかデートして、まデートっていうか、なんかこうお会いしてちょっとおしゃべりして、何しゃべったかは覚えてないけど、なんかリスナーの方とお話してっていうのは覚えてますよ。
T:リードするんですよね?そういう時もちゃんとね。
K:いや、どうだったかな?ものすごくテンパってただろうな~。なんかもうフワッフワしてたと思うけど、なんかそういうことは覚えてますね。
T:色んなことやらせますね。AIR-G'って
K:あと生歌とかね。生歌は熱心にやってたな。ピアノの鈴木さんにピアノ1本でオケ作ってもらってとか、そのオケ持っていって、AIR-G'のスタジオで歌ったり
T:私はそれを側で生で聴いてたんですよ。こんな幸せなことはなかったなって
K:いやいや。でもなんか懐かしいっすね。なかなか最近はそんなことしないから
でも楽しかったですね。なんか訓練、練習にもなるし、経験にもなるし、色んなところで歌うって、ライブもいいけど、収録でピアノ1本でってピアノとかだとなかなかできないから、ラジオでそうやって定期的に歌えるっていうのは、いい鍛錬になりましたが
T:私ね、ケンとひろみの2時いろネットワークの中で一番失敗したなって思うことがあって、何かっていうと、曲かかってる間、カフ下げてるじゃないですか。
スタジオで私鼻歌歌っちゃったんですよね。よく鼻歌歌ってたんですよ。
K:うん、歌ってた!
T:そしたらディレクターが入ってきて、「あんたよく歌手の前で歌えるね」って言われて(笑い)
K:全然いいじゃないですかね。全然いいですよ
T:それは覚えてますね。言われたの。たしかにそうだなと思ったんですけど、
K:いやいやいや、そんなの別にね
T:よっぽど下手だったんだと思うんですよね。鼻歌が。でもこれ歌いたいじゃないですか。私だって別に音楽好きだし、歌手になろうなんて思ったこと1回もないけど、歌歌うのも好きだし
K:いやそえは全然、スタッフがよくないね。歌手の前で、私の周りのお友達とか全然関係なくいっつも歌ってますよ。鼻歌
T:ですよね。平井さんやっちゃった!ってなんか覚えてることとかある?
K:そのカフ下げ忘れとかはしょっちゅうだし、あとその、ストップウォッチってさ、残り30秒とかあるじゃないですか、ラジオDJのね皆さん、上手なやつ。
ストップウォッチを見ながらしゃべるの結構好きで、好きだけど上手ではなくて、こぼれて最後はワチャワチャっとなってグシャグシャってなってバイバイっとかってなって終わるっていうのはよくあった気がする
よくアウトロ何秒とか言われると、普通プロじゃないとできないんだけど燃えてましたね
燃えるけど失敗するっていう
T:当時カフに座ってたの、飯田さんてディレクターだったと思うんですけれど
K:うん、そうですね。
T:すっごい細かい、
K:細かいね
T:曲ごとに単語帳作ってましたから。この曲のイントロはここからここまでは△でここからここまでは☓でここはしゃべれる。アウトロは何分から乗れて何分から何分からって単語帳作ってました
K:ラジオって職人さんみたいな人多いですもんね
でも、飯田さんも楽しかったな。職人さんだからたまにちょっと怖いんですけど。それも含め面白かったですね。
T:ほんとに多くの職人の中で私も喋らせてもらったしよかったなと思いますけど、2時いろネットワークやって、一番めっちゃ楽しかったなって思うこと、正直に言って下さって結構ですよ
K:正直に言うと、もちろん自分が喋ってっていう生放送の中も楽しかったんですが、やっぱりなんかねオフトークっていうかね、終わってからとか番組に出てない時のスタッフの方から、僕もキャンペーンっていうか、東京にいながら定期的に来てよそ者ですよね。お邪魔してる身なので、札幌だとそうやってキャンペーンとか諸々で色んな方が来るわけですよね。AIR-G'に。
その人たちの悪口とか、誰来たとか誰がどんなことやらかしたとか
T:ちょっとした裏話ね
K:ま悪口だけじゃないですよ。裏話を聞くのが好きでした。もともと芸能人とかの話聞くの大好きミーハーなんで、そういうの嬉しかったですね。
今月誰来ました?とか言ってその話聞く、誰だれが遅刻したとか誰々は性格がいいけどスタッフが感じ悪かったとか、そういう話を聞くのがとっても嬉しい楽しかったし、
あと、我々がゲストとして迎えたこともあって、僕とひろみさんでやってて、古内東子ちゃんとかが遊びに来たときがあったんですよ。
ちょっと何年だったかは忘れたけど、そういうのもね楽しかったですね。おもしろかった。
T:やっぱりアーティストを迎えるってアーティストの立場としては特別なことで聞ける、私なんかが聞けることとは全然違う聴き方をしてくれて、私も勉強になったなってこと思い出した今。
K:あそうですか。あと僕は自分も歌手だし、同業者だけど、その時はナビゲーターというかインタビュアーっていう立場でもあるから、ちょっとよそ行きでかっこつけてる顔とか見るのとか楽しかったですね。
ちょっとアーティストぶってるなとか。あ、今日ちょっと東子すましてるなとか、思いながら話聞いたりしたのも今ふと思い出しました。
T:AIR-G'にも思い出がいっぱいあるというね。平井堅さんですね
K:ポスターに書き込んでるサインとか、ポラロイドカメラとかね、来局した人の写真が見れたりするのとか、すごい好きで、じーっと見たりしてましたね。
原田知世だとか、わ~!っつって、来たんだとか言って。
T:広末涼子さんのことすごく好きじゃなかったでしたっけ?
K:いやいや。好きでしたよ。
T:あれ?原田知世さんでしたっけ?
K:いや皆さん好きですけど
T:てっきり広末涼子さんのこと好きなんだと
K:広末さんは生で見て感動しましたね。というのを見聞きするのも楽しかったですね。
T:アーティストなんだけども、そうじゃない、普通の感覚っていうか私達と近い感覚を持ってくれていたっていうところが、平井堅さんの魅力の一つでも
K:ミーハーな。終わってからコンサート見に行ったりとか行かして頂いたりとかすごく覚えていますね
T:札幌ライフ色々と楽しんでいたようですが、また来週もね、色々とお話伺っていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
今週ありがとうございました。平井堅さんでした。
K:ありがとうございました。

♪「Love Love Love」

2022.07.23(土)&7.30(土)
AIR-G’
4 your SMILE〜Once In a lifetime〜
20:00 〜 21:00

毎週土曜日夜8時から放送中。開局40年を迎えるAIR-G’ FM北海道が、40年のあゆみを伝える番組「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」

毎週 AIR-G’と関わりの深いゲストを迎えて当時の話をお聞きしています。

 

7月23日と30日の2週は平井堅が登場。

AIR-G’との出会い AIR-G’のイベントで初めて歌ったあの曲の話また AIR-G’の思い出など 平井堅さんとAIR-G’のここでしか聞けない話をお聞かせします。
ぜひ 聞いてください!!


https://www.sonymusic.co.jp/artist/KenHirai/media/?id=aep220717


来週7月23日はAIR-G‘と、そして千葉ひろみさんと所縁の深~い平井堅さんがゲストで登場します!
「ケンとひろみの2時いろネットワーク」としてゲスト出演の後、

「2時いろナイトワーク~こんな夜中にごめんね」そして「平井堅の俺は歌バカだ!」

などレギュラーパーソナリティーを務めていました。

ここでしか聞けない思い出話がたっぷり。
どうぞお楽しみに。 

https://www.air-g.co.jp/40smile/


radikoでも聴けますが、有料会員でない人は、ポッドキャストでも1ヶ月遅れくらいで聴けるみたいですね。かなり遅れてですね。

アプリをインストールしてね。

https://pitpa.jp/playlist/4yoursmile804



🔹追記

やっと、堅ちゃんの声が聴けますね❤️

もう、半年以上何の音沙汰もなくて、つい昨日はぼやいてしまって、堅ちゃんにも皆さんにもネガティブ発言してしまって悪かったなあと後悔してました。


ごめんなさい🙏🙇‍♀️


堅ちゃんの言葉で近況とか聞けたらめちゃくちゃ嬉しいね😊


千葉ひろみさんとの対談も久しぶりに聞けて嬉しいわ😆




最近、またコロナ感染者が増えてきて、第7波が来るようですね。
アーティストでも感染者が増えてきてますが、堅ちゃんは元気でしょうか?
去年のクリスマスから何の音沙汰もなくて、無事かどうかもわからないですね。
去年の配信ライブの「センチメンタル」前のMCを改めて聞くと、何だか、もうしばらく会えないみたいな話しに聞こえて、本当に休止宣言だったんだろうか?と。
これからの堅ちゃんが、どんな歌を歌っていくといいのか、見つめ直す時だと

『僕の歌が皆さんの人生のどこかで、思い出として残すことができたならこんなに嬉しいことはありません。楽曲というのは、僕にとって宝物、財産なので、僕が死んでも曲は残るので、それが時代を超えて残るかどうかはわからないけども、この仕事につけてラッキーだったなと思います。
これをご覧の皆さんは割かし僕のことを熱心に見て下さってる方が多いと思うので、最近、今年、去年辺りから、あまりテレビに出なくなって寂しいみたいな声も耳に入っております
ほんとに申し訳ないというか、という気持ちはあるんですけども、この26年、特に2000年ぐらいからかな?20年くらいちょっと、有り難いことですけども、一生懸命新曲を作って、有り難いことにタイアップを頂いて、有り難いことにテレビに出させてもらえて、プロモーションしてということを、毎年続けてきて、文句なしにやり甲斐のある仕事なんですけども、僕も来年50で、ルーティーンていう言い方が正しいかどうかわからないけども、毎年毎年それを続けていく、呼ばれるというのは有り難いことなんだけども、呼ばれるものなら続けていくということを、ちょっと立ち止まってみたいなという気持ちがあって、別に辞めるとか休むとかっていうことでばないんですけども、これこら50代60代、中年、老人になっていく歌手平井堅として、どんな歌を歌えば一番いいのか?っていうのを、これこら模索していくために、自分自身の、今までラッキーなことに、全く無学で我流でやってきて、それを踏襲しながらも、年はとって行くけども、新しい平井堅というものに出会えるために、技術や感性を磨いて、その年その年のいい楽曲を作るために、そんなことも大事なのかな?と思っている今日この頃です。

別に隠居するわけではないけども、来年、もっともっと色んな音楽を聴いて、音楽だけじゃなくて、色んな美しいものを見て、自分の目と耳と心にたくさん栄養を与えて、また皆さんの前にお目にかかりたいなと思っております。
もっともっと新しい平井堅をお見せできたらなと思っております。
皆さんも、このご時世で、この時代を難局を、日本も決して豊かな国とは言えなくなってきましたけども、共に生きる同士として、この時代を共にサバイブして、また、笑顔でお目にかかることを僕もお祈りしております。
皆さんも元気で日々をお過ごし下さい。』



堅ちゃんの気持ちがここに全て詰まってますが、ファンとしては、まるでお別れみたいな、しばらく会えないようなそんな気持ちになってしまう。
これを聞いた時は、しばらく勉強期間にして、見つめ直すんだなと言い聞かせてましたが、あれから半年以上何の言葉もなくて、何の予定もなくて、今年こそはと期待したLIVEもなさそうだし、本当に休みに入ってしまったのかと。

去年5月にアルバムを出したときには、これでもかと露出してくれて嬉しかったけど、それからはまた寂しい日々。
いつかは生で会えるとそれだけを楽しみに待ってきて。

また、コロナが増えてきて、やっぱりまたLIVEは先になりそうですよね。

しばらく会えない時が続くのなら、せめて、配信やインスタはできなくても、ビデオメッセージなり、コメントくらいは欲しいですよね。

今の時代、SNSで発信してくれることが当たり前のような世の中になってきて、ガラケーの堅ちゃんにはハードルが高いのは百も承知です。

でも、せめて、声だけでも聴きたいです。

ラジオをしてくれてた時は、ニューヨークに逃避行してた時も、毎週近況がわかったし。

今は何の術もないから、ファンにとっては不安でしかない。

いつまで、じっと我慢して待たないといけないのか。

健気に待ち続けているファンがここにもいることを、どうか気づいてほしいです。

いつまででも待ちますよ。

毎日毎日、スマホのイヤホンからサブスクで聴く堅ちゃんのシャッフルの曲。
アルバムからシングル、カップリングまで、どれを聴いても飽きないし癒しです。
最近車を変えて、HDDに全曲入れてあった堅ちゃんの曲を、一から入れ直して、また、綺麗な音響でランダムに聴いてます。
どの曲を聴いてもやっぱり堅ちゃんだなと思って泣けてきます。
お風呂では、堅ちゃんのマイフェイバリットソングを毎日毎日聴いてます。

情報もなく、ブログを更新することもなくなったけど、常に聴くのは、堅ちゃんの言うように、生活の人生の一部となった堅ちゃんの曲です。
切っても切り離せない。
22年間の習慣。
曲を聴く度に思い出が蘇ってきて。

何一つ、堅ちゃんを忘れたり嫌いになる理由がないのに、遠ざかっていくことに不安を覚えてしまいます。

堅ちゃんに会えたなら、全て吹っ飛ぶのにな。

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