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2022年08月

2022年08月26日16:55孫っちができてまた知った感謝の気持ち
人生の中で、何度も、それまでは全く気づかなかったことにふと気づくことがあります。
感謝の気持ちが心の底から溢れてきて、自然と感謝する気持ちで涙が出ることがあります。
孫っちが1歳になって、娘も仕事に復帰しました。
それと同時に保育園に行くことになりました。
今までお母さんとべったりで家に来ても人見知りでお母さんが立っただけで大泣きしてた子が、1日中知らない環境の中で生活する
お母さんと離れることもなかったので、それはそれは悲しくて不安でいっぱいだろう。
1日目はずっと大泣きして汗だくになってたようで。
2日目には少し遊んでもらって笑顔も見れたと。
3日目には、お友達に笑顔で遊びに行って、仲良く遊んでいると
写真を見せてもらってニコニコして遊んでる姿を見て涙が出てきました。
何かあった時にはいつでも迎えに行くのは私の役目になっていて、毎日ドキドキして待っていたのでした。
5日経っても電話が鳴ることはなくて、慣れてくれてよかったと安心しました。
今はお母さんも働かないと生活できなかったり、仕事の両立を選ぶ人も多い。
待機児童で働きたくても働けない人もいる。
母親から離れて預けるのがどうかと意見はあるだろうけど、私は4人とも一人で子育てして2年保育にしたので、末っ子はほぼ一人っ子で、友達がいなかったのがいけなかったのか、未だにコミュニティ障害で困っています。
何が正解かはわからないけど、あんなに小さくても我慢して一人で頑張ってお友達や保育士さんと仲良くしようとしている。
私の小さい頃は、母が兼業農家で朝から夜遅くまで、仕事と農業の掛け持ちで家にいることがほとんどなくて、おばあちゃんに育てられた。
母親が遅くから生んだ子だったので、おばあちゃんは既に腰が曲がって車はないし、乳母車やバスででかけたり、保育園も1年しか行ってなかったので子育て大変だっただろうなと。
今になって、同じおばあちゃんの立場になって、その大変さと有難みを知り、涙が出てきた。
小さい頃、母に育てられた記憶がないけど、私はそれが当たり前で、祖母が母代わりでおばあちゃん子で、今になって、私はおばあちゃんに育てられて今があるんだと。
母の苦労も知ってるし、母にも感謝してる。
自分が母親になった時には、母の苦労に気づき感謝し、孫の守りをしてくれてとても助かったので、自分も娘の役に立ちたいと思う。
そして、おばあちゃんには大切に育ててもらったので、同じように孫を大切にしようと思う。
無償の愛情をたっぷりと感じて育ってきた私は幸せ者だなあと思う。
娘にも、孫にも、自分がしてもらったことを母や祖母に返せないけど、子供や孫に返していこうと思う。
人生、無駄に生きることは全くない。人生死ぬまで経験と気づきと感謝です。
死ぬまで勉強で、この歳になって初めて感謝することもある。
生きていたら、辛いことも嬉しいことも全てが意味のあることで、感謝することばかり。
孫が保育園で頑張ってる分、預かった時には精一杯の愛情を注ごう!と思ったのでした。



2022年08月13日22:52孫っち1歳になりました🎂
昨日は、孫っちの1歳のお誕生日で、家族全員揃って皆んなでお祝いパーティー🎉をしました。
もう片言を喋ったり、伝い歩きしたり、音楽で踊ったり、ますます可愛くなりました。
病気もしないで元気に育ってくれて嬉しいです😆
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2022年08月11日10:09AIR-G'2週目のポッドキャストアップ
7/30(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」2週目のポッドキャストがアップしてました。

https://pitpa.jp/playlist/4yoursmile804


2022年08月07日20:5625周年のインタビューを読んで
2週連続のAIR-G'のラジオで、デビュー当時のお話を聞いて、25周年のインタビューに、AIR-G'のディレクターの野口さんも話をしてくれていて、千葉ひろみさんの話しと同じ内容のことが書かれていて、微笑ましく読んでいて、その次に、マネージャーのボッコ大滝さんのインタビューを読んでみました。
何度も読んでるけど、当時はまだコロナも走りで、堅ちゃんがここまで出てこないとは思ってもいず、少しの我慢で、またLIVEやテレビにも出てくれるだろうと思ってました。
もう、2年半、堅ちゃんの活動がほぼなくなって、このインタビューを読むと、胸が痛い。

デビュー前から変わらずマネージャーを務めるボッコさん。
楽園が最後のシングルになるかもしれなかったと。
5年間の売れない時代からいきなり2000年にブレイクして、そこからの仕事の入れすぎで、堅ちゃんが疲弊してしまったと

一部引用

「5年苦労していると5年分の恩人がいまして、こちらとしてはお返ししたい素直な気持ちがあるので、そういう人たちからのオファーは全部引き受けて、すると、記憶がなくなるくらい働くことになるわけですよ。だから、僕からしたら、いつ来るんだいつ来るんだと思っていたことではあったんですけど。

―大滝氏の不安は的中してしまった。平井堅も疲労困憊、しかも「もう歌えない」と直訴されてしまった。

「休ませる以外にないなと思いましたね。話を聞くと、ストレスがとにかく大きかったようで」


2003年にニューヨークで休養


堅ちゃんの初めてのミリオンのアルバム「THE CHANGING SAME」もR&Bにこだわってた訳ではなく、以降のアルバムもその時その時に歌いたい歌を歌ってきただけだと。


引用

―「1曲1曲が勝負」の積み重ねとして出来上がるものが平井堅のアルバムであり、「1曲1曲が勝負」の積み重ねが平井堅の25年間であったのかと尋ねると、「そういうことなのかなぁ」とのことだった。

「時代を読むことは大切ですけど、追い続けられるものでもないし、追い続けるのもどうかと思いますし、だからこれからも焦らず、今まで以上にマイペースに活動していってほしいと、マネージャーの立場としてはそう思ってます。平井の場合、良いも悪いも、歌手を職業にしていない感があって、生活のため、お金のためにやってないとこは昔から変わっていなくて、歌うことが好きだから歌いたい……いや、今はつねにベストな状態で歌いたいという気持ちに変わっていると思うんですけど、そこで僕のやることは変わらないです。彼を作り上げることではなく、ベストな状態で歌えるよう支えていくだけですから。」


これを読んで、ストンと腑に落ちた。

堅ちゃんは、ただベストな状態で歌いたいだけなんだと。


ファンとしては、もっとテレビで見たい、LIVEもやってほしいと焦って要求してしまうけど、ボッコのように、ベストな状態で歌える堅ちゃんを、焦らず待つことが大切なのかと気付いた。


堅ちゃんがしんどくて歌手を辞めたいと思ったのは、2003年と2008年の話は堅ちゃんの口からも聞いた。

もしかしたら、コロナ禍、同じ気持ちになっていたかもしれない。


去年のクリスマス配信ライブで話したことは、堅ちゃんの心からの正直な叫びだったのかもしれない。


最善の状態で歌えるようになったら、必ず出て来てくれるに違いない。


ボッコは堅ちゃんがどんな時も、じっと見守って支えてきてくれてたんだと思うと、堅ちゃんがついボッコを冗談で罵るので、ファンも、冷たく思ってしまうけど、一番理解して、一番堅ちゃんのベストな状態を守ってきてくれたんだと、感謝の思いでいっぱいになった。


何だか泣けてきて。


ソロアーティストが何十年もトップで走り続けるのがどれほど難しいことか。

堅ちゃんは利益も何も考えず、ただ歌が好きなだけ。

それを追求して、妥協を許さない。

歌バカそのもの。


そんな堅ちゃんを好きになったんだからファンも待つのは仕方ない。


今まで、ずっと楽しませてくれていたんだし、毎日聴いても飽きないくらい素晴らしい曲を無限に残してくれてるし。


新しい堅ちゃんを想像しながら待つのも楽しみ。


25周年特設サイト

大滝さんのインタビュー

https://www.kh25th.net/interview/detail24/


お母さんのインタビューも泣ける。



2022年08月03日15:387/23(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」のポッドキャスト
7/23(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」の音源が聴けます。
最新のは、アプリがなくても、ブラウザで再生マークダップしてフルで聴けます。
アーカイブを聴くにはアプリをインストールしてね。

https://pitpa.jp/playlist/4yoursmile804

2022年08月02日15:417/30(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」ゲスト出演 2週目
7/30(土)AIR-G’「4 your SMILE〜Once In a lifetime〜」ゲスト出演 2週目
平井堅:K  千葉ひろみ:T

T:先週に引き続きまして、今夜もこの方です。平井堅さんで~す!
K:よろしくどうぞお願いします!
T:よろしくお願い致します。先週も色んなお話を伺いましたが、今週はね、まずやはり、私の中ですごくAIR-G'の開局ライブっていうかイベントとして心に残っているのが、開局13周年のイベントに平井堅さんが出てくださいました。
米倉利紀さん、横山輝一さんと一緒にね、平井堅さんも出て下さったんですけど、ねー、覚えてらっしゃいますでしょ?そのことは?
K:もちろん覚えてます。なんかね、ニューヨークの風を感じるアーティストに集まってもらってみたいな、どこがやねん!っていう、ニューヨークね、まその時一回くらい行ったことあったかな?そんな、全然ニューヨークと関係もなかったんですけども、なんかそんな冠があってですね、その時も、僕デビュー間もないですよね。デビューしてまだ半年も経ってない時で、米倉さんとか横山さんとか、先輩の活躍されてる方っていうので、とっても緊張してると同時に、何か印象残さないとっていう、必死な思いとそんな気持ちで望んだのをとっても覚えてますよ。
T:確かね、平井堅さん2番手ぐらいに登場したんじゃないかな?ごめんなさい。間違ってたら。
K:確か。でもそのイベントで、さっきも言ったように、何か自分のオリジナル曲ももちろん歌ったけど、何か当時それ以外でインパクトを残せるものはなかろうか?と自分で考えて、で、その「大きな古時計」をオープニングでアカペラで歌ったのかな?
T:そうです
K:そうそうそう。それはとても覚えてますね。その時の景色や、最初ざわざわしてたのが、段々こう、皆さん聴き入るように聴いて下さってっていうのは、とっても覚えて、かけがえのない印象的な瞬間でした。
T:あの時、私も客席にいたんですけども、もうほんとに鷲掴みにされましたね。心をね。
K:いや~。でも必死でしたね。ほんとに。当時。何とか今の状況をもっとより良いものにしなきゃっていう思いで、その必死さもね
T:だってデビューしてすぐだったからね
K:うん、そうです、そうです。だから懐かしいですね。若かりし自分の23の時のパッションっていうのが。
今ももちろん持たなきゃいけないしあるけど、なんかその無鉄砲な感じっていうのがとっても懐かしいけど。
でもそれのお陰でと言っても過言じゃないくらい、その後、すごくその模様のことを会場に来て下さった、業界の方とかにすごい言われて、応援してもらうきっかけにねなりましたね。
ほんとにそれは大きかったと思います。
T:平井さんにとって、大きな古時計ってどんな曲なんですか?
K:なんかその後ね、それが95年で、それから7年くらい、ちょっと忘れたけど、2001年くらい?にシングルでリリースして、それもたくさんの方に聴いて頂いて、自分のキャリアの中で強い大きなものでしたが、僕にとってはね、その衝撃っていうか、リリースした時もすごい印象もとても強いけど、やっぱりね、一番最初に厚生年金で、95年に北海道で歌ったっていうのが、なんかこう、その印象がすごくず~っとどっか忘れられなくて残ってたんですよね。
それで2000年ぐらいからちょっと忙しくなっていく、R&Bとか歌っていくんですけども、その後もどっか自分のキャリアがスタートした時の大切な瞬間として妙に残っていて、なんかあの感覚が、きっと何かもうちょっとあの曲に対しての強い、自分ができることがあるんじゃないか?っていうのが残ってたんですよね。それでシングルとして後々にリリースするんだけど、だから、曲としても小っちゃいころから好きな曲なんだけど、あの曲の持ってる、僕が歌ったことで聴いてくださる人がたくさんいたのかもしれないけど、あの時に、歌った時にあの楽曲自身の曲のパワーみたいなものもすごく感じたから、そういう意味では、あの95年に歌ったことがとても強かったですね。
T:その後ね、何となくシングル出すまで、封印したっていうか、敢えて出すまで時間を置いたのかな?みたいな感じでちょっと思ってたりしたんですけど。
K:そうですね。なんか、封印、もう歌わないぞっていう感じではなかった決めてたわけではないけど、なんか凄く強い曲なんだなっていうのはその時に感じて、あんまり闇雲にむやみに歌わないようにしてたと思います。
ま今もそれはそうなんですけど。
T:そうなんだ!小さい頃から歌ってた曲なんですよね?聴いてた曲なんですよね?普通に
K:母がですね、よく台所で歌ってたんですね。なので割りと母の声で聴いた印象が強いですね。僕もすごい好きでした。当時。
T:それを13周年の時に持ってきたっていうのは、その辺の体に染み付いた体に染み付いているものが出したいっていう風に思ったんでしょうかね?
K:なんで歌ったのかちょっとあまり思い出せないんだけど、とにかく自分のまあ当時その時出した楽曲もわ~っとそんな全国に広まったっていう感じでもなくて、何かそれ以外でってなった時に、ふっと浮かんだんでしょうね。
それだけ印象が強い曲だったんでしょうね。
T:何となくデビューだし、やっぱり自分の持ち歌から行くっていうのがセオリーなのかな?って勝手に思っちゃうけど、それを敢えてしなかった、それを止めなかったスタッフっていうかマネージャーさんっていうかね。
それもなんか英断だったのかな?って今から思うと。
K:なんか、それを賛同したのか、興味がなかったのかちょっとよくわかんないけど。
T:平井さんはほんとにAIR-G'のイベント、色々と出てくれましたけども、夏にやったパラダイスカフェってありましたでしょ?ジャスマックプラザでやりました。
K:なんか、ジャスマックプラザで、何回かやってます?
T:いや、2回3回?
K:2回3回?でもなんか、すごいやたらめったらやったような記憶があるんだよな~
T:えっと、1階と、それとジャスマックプラザ・ザナドゥって言ってホールがあって、そこでもやってるんですよね。
K:なんか、温泉ありません?
T:あるあるある。
K:あるよね?
T:ある!
K:とにかくそこで歌って温泉入ったっていう記憶が一度じゃなく何度もある気がするんだけど。それは俺の記憶がちょっと
T:大事ですね。いや、何回かやってます
K:やってますよね。とにかくライブをして、ひっろい大浴場があるんですよ。
T:そうなんです。結構ね
K:そこにジャブジャブ入って、サウナもあって、サウナもあったっけな?あったと思うんだよな。なんかそのライブをやったことと同じくらい、大浴場もおんなじくらい印象に残ってますよ
T:あのジャスマックプラザの方が聞いてたら怒るかもしれませんけど、比重おんなじですか?みたいな。
K:なんかね、印象としてはすごくその2つが強く残ってて、でもね、トークしたり、ミニKen's Barっていう形でやらしていただいたり、なんか、五島良子さんと歌わせてもらったこともありましたよ。あったし、あとね、どういうカバーを歌ったかっていうのも覚えてます。
それがいついつのジャスマックなのかはわからないけど、あのね~鈴木さんのピアノ1本でミニKen's Barをやって、キャンディーズのね「春一番」をカバーしたことをね、覚えてます。間違ってたらごめんなさい。
T:ごめんなさい。私は覚えてません。正直に言います。
K:いや、いいんだよ~全然。それでね、あとね、ほんとにどうでもいいことで申し訳ないんですが、あるどこかのジャスマックプラザなのかKen's Barイベントで、わたくしのちょっと不適切かもしれないですが、ちょっと腸が滞りがちな体調のときがありましてね、
T:お腹痛かったときね!
K:お腹が痛いというか、滞ってたときがありまして
T:あ~出なかった方ね
K:ええそうですね。それで、ライブ直前で楽屋で牛乳1杯飲もうって自分で言って、多分その滞ってるから、それで牛乳をたくさんすごい飲んだんですよ。直前に。ジャスマックプラザのライブの直前にね。
T:訂正させていただきます。それは札幌グランドホテルのバージョンでございます。オールドサロン1934かな?
K:よく覚えてますね!ごっちゃになってますね。それで、とにかく牛乳をがぶ飲みしてそれで臨んだんですよ。ライブにね。で、まあその、腸の状態はどうだったか覚えてないんですけど、牛乳ってね喉に膜を張ってあまり良くないんですね。歌に。
らしいんですよ。それでね、何となくねちょっと出が悪かったんですよね
T:声のね!ほんとは出てほしいのは下なんだけどね。
K:そうなんですけども、今となっては時が経ってしゃべってますが。で、反省してどんな状況でも牛乳は飲まないようにしてますね。コンサート前に
T:牛乳に嫌いじゃないけど、ライブ前は飲まないとね!
K:というのをなんか覚えて思い出しましたが、それはジャスマックではなかったんですね
T:そうそうジャスマックではなくてね。色んなとこでやってたの思い出しましたね!今ね。
K:なんかね、いついつの何何っていうのは覚えてないんだけど、ふっとその景色とかこういう会場だったなとか、鈴木君はこういうことを言ったなとか、リハーサルでこれ練習したなとかそういうのはハッと思い出すんですよね
ショットショットで
T:これはもちろん覚えてらっしゃると思うんですけど、「ドキドキしちゃう楽園で踊っていただけますか?」
K:あ~わかった!はい
T:クイズじゃないんだけどね。
K:ミッチーとスガシカオさんと私で、トーク、ライブもしたのかな?
T:そう、Zepp sapporo でトークイベントがあって、年金でライブがあった
K:はいはい。ライブよりもトークの方が覚えてますね
T:へ~!ミッチーなんか色っぽかったよね。あの時ね
K:色っぽかったかどうかは覚えてない。色っぽかったんだ!
T:色っぽかった。やっぱりミッチーって匂いまでもが素敵っていうあるじゃないですか!
K:王子様なね
T:すごい色っぽかった。スガさんは男っぽいし、堅ちゃんもどっちかって言うと男っぽい感じで、爽やか青年っていうか、それで3人それぞれ立ち位置があって、もうドッカンドッカン!でしたね。
K:それはねもう覚えてないんだよな。ドッカンドッカンだったか否かはもう覚えてない。むしろ打ち上げ覚えてますね。
T:その方が覚えてるかもしれないですね。打ち上げで3人でスガさんとかミッチーと話をしたっていう?
K:そうです。もちろんスタッフもいらっしゃったんだけど、3人でBarみたいなところで飲んで話したの覚えてて、で、時効で、ミッチーがその時キャバクラに行かれてて、お仕事が終わって、僕とかスガさんとかは打ち上げに行って、ミッチーはキャバクラに一瞬行って、そこから遅れていらっしゃったんですよ。なんかそれをね思い出しました。
T:で、その開局20周年のスペシャルライブは、年金だったんですけど、どっちかっていうと、トークの方が覚えてて。
K:そうですね。なんかライブはね、かなり霧の向こうっていうかモヤの向こうっていうか
T:3人で同じ曲歌ったりしたっていうのは覚えてません?
K:うっそ!何歌いました?
T:スガシカオさんの曲を
K:シカオさんの曲?へ~覚えてないわ!
T:歌ったんですよ。堅ちゃんとミッチーとシカオちゃんとで
K:それはね、ごめんなさい。曲のタイトルを言われたら思い出すかもしれないけど。もうほとんど50年も生きてると色々遥か彼方なものがありますよね。たくさん
T:そうですね~たくさんのステージ踏んできたからね。そういうことですよね
K:だけど、先程も千葉さんも言ってたけど、三者三様で全然立ち位置が音楽も違うから、打ち上げで、「堅ちゃんいいよね~」とか言われて、「いやいいじゃんスガさんも」「ミッチーもいいじゃん」とか、それぞれ無責任に他人を褒め合うっていうそういう話をしたのを覚えてますね。
T:まあ隣の芝生は青いじゃないけれど、やっぱりそれぞれ輝いていて、いいなって思うっていうのは、それは素直な気持ちだったんじゃないのかなって気がしますけどね
K:そうですね。
T:ほんとに色んなイベントに出ていただきました。
またこの後も思いで話お聞きしたいと思いますのでもう少しお付き合いください。

♪大きな古時計

T:札幌にたくさん通って下さった平井堅さんですけど、札幌でねおむすび食べたっていうのは覚えてると思うんですけど、それ以外でね、美味しい味に出会ったりとか発見とかありました?
K:はい。食べるの大好きなんだけど、ほんと無頓着で、あんま何でもどんなものでも美味しいと思っちゃう方で、そんなにグルメではないんですけど、あのいっつも終わってから皆さんでご飯食べに行ったりよくしていたんですが、札幌っていうとねたくさん美味しいものあるし、海の幸とかラーメンとかねありますが、なんか札幌ならではっていうよりは、なんでかその当時なのか今も好きだけど妙にイタリアンを食べてたなという記憶があって
いきつけのいつも行くお店がありまして、あれかな?そのころニョッキっていう食べ物が出始めたのか、自分が初めて知った頃はその頃で、とにかくニョッキニョッキって言って、ニョッキ食わせろって言ってニョッキ食べてた印象と、
あとなんか、同じくイタリアンでどこにあるお店か何なのかって全然知らないんですけど、連れて行ってもらえるがままに行ってたんですけど、素敵な古民家のお店で、白い大型犬が2匹いて、そこがね、スキー場の入り口だった気がするんですけど、そこにタクシーで移動車でガタゴト獣道っていうか山道
T:あのね、藻岩山ですね。藻岩の方ですね
K:そこかな?そこの素敵なお店の佇まいと食べ物が美味しかったっていう印象がございますね。
あとはやたらと言ってますが、油そば?米風亭合ってる?
T:合ってる合ってる。油そばはすごく有名ですね。ビールが美味しいところ
K:米風亭がいっとき世の中の食べ物の中で一番好きって、濃いね、カロリーの塊のような食べ物なんですけど。あの油そばがとにかく好きで好きでいっとき取り寄せてましたね。
都内の自宅に。取り寄せたり、送っていただいたり。両方麺類っていうかね。北海道っていう感じではないんですけど、その2つですかね。
T:ニョッキと米風亭?
K:ニョッキと米風亭
T:でもね、あながちそれは札幌を代表する味ですよ。札幌イタリアンすごく多い。多いって言われてる。
K:やっぱりそうなんだ。
T:うん、言われてる
K:でもその牛乳が美味しいですもんね。
T:牛乳は北海道どこでも美味しいですけどね。牛乳も美味しい。
K:ね、美味しいもんね。という思い出です。
T:思い出ですか。私はね、平井さんから頂いたキャンドルがあるんですよ。
K:へ?
T:覚えてないでしょ?ハワイ旅行に行ったんですよ。平井さんは。
K:マジで?私あなたにキャンドルあげた?
T:キャンドルもらいました。
K:ほんとに!ほんと酷いね。全然覚えてないですわ
T:いいんです。いいんです。ハワイのお土産ってねキャンドル頂いて、未だに火を灯さず大事にとってあります。
K:マジで?
T:火灯したら溶けちゃうもん
K:そうですね。どんなやつですか?
T:なんかアーティスティックな紫色のね縦型の
K:あそう。てかそんな気の利いたことするんだね。びっくりしました。
T:それね、最初の頃ねハワイ行ったんだって言ってねお土産にもらいました。
K:へ~、じゃ、いつかお葬式で灯そうか。
T:どっちの?
K:どっちかのね。
T:大事にそれはとってあります。
K:じゃあ僕が先に死んだ時に灯してください。
T:じゃあ私が先に死んだ時はどうすんのよ。
K:灯すわ。遺族に言って
T:順番に言うと私の予定になってますからね
K:わかんないけども
T:開局40周年にもなるとこんな話もできるようになるっていうのは
K:ほんとにね、そりゃもうお互い折り返しは過ぎたからね
T:私はまだまだ元気に頑張ってやっていこうと思ってますけど。
K:もちろんもちろんもちろんですよ。
T:まあ、ありがとうございます。AIR-G'は開局40周年を迎えることができて、ほんとにアーティストの方々の力っていうのは絶大で支えていただいて、その中の平井堅さんはほんとに色々と支えて頂いたなって思いがいっぱいあるんですけど、AIR-G'に期待することだったり、AIR-G'40年に思うことだったり何でもいいんですけど、頂いていいですか?
K:40年て、やっぱり僕は人生50年だから人生としては10年先輩ですが、歌手としては27年なので、ずいぶんと先輩だし、続けていくことってとても大変だと思いますので、まずはほんとにおめでとうございます!と、
あと僕自身がAIR-G'に遊びに来たり番組を持たせていただいたりっていう中でのAIR-G'の印象っていうのは、ほんとに人のいい局のカラーとかもあるけど、そこでご一緒して関わったスタッフの方の印象が全てなので、そういう意味では、ほんとに誠実で優しくてあったかいAIR-G'の北海道の皆さんのお顔が浮かぶので、そういう、番組作りもそうだけども、誠実にリスナーの皆さんと向き合うっていう印象があるので、それを50年100年と続けて行ってほしいと思うし、
あと時代と共に僕自身も生きていて音楽人生、聴くツールもどんどん変わっていくし、J-POPもワールドミュージックもそうだけど、ほんとにひとところではいられない、どんどん変わっていく目まぐるしい音楽っていう世界だけど、ラジオ局っていうのはずっと同じことを続けていくことがすごく素敵なことだと思うので、変わらずグッドミュージックを送り続けて頂きたいなと思います。
T:ありがとうございます。その言葉を胸にAIR-G'全員で頑張っていけると思いますのでありがとうございます。温かい言葉をいただきました。
先週、今週とほんとにありがとうございました。
K:ありがとうございました。こちらこそ徒然な適当な話ばかりしてしまいまして。
T:またAIR-G'に是非遊びにお越しいただきたいと思います。
K:是非呼んでください。
T:お待ちしております。平井堅さんでした。ありがとうございました。
平井堅さんありがとうございました。
K:ありがとうございました。

♪POP STAR

T:先週今週と平井堅さんをゲストに迎えてお話させていただきましたけども、変わらない心持ちっていうか、もういちまでも昔のまんまというか、ほんとに話していてあったか~い気持ちにさせてくれます。
それがリスナーの皆さんに伝わっていたんじゃないかな?と思います。